2019年9月26日(木)リタイヤ生活850日目

今日も朝のうちは雲が多かったが、すぐに日が射してきて

気持ちのいい秋晴れの日になった。

 

今日は、午前中は、ピックルボールのルールブックの翻訳の見直しをしていた。

ルールの大半は要件なので、国際標準等と同様に、shall、should、may等に関して

きちんと正確に翻訳する必要がある。

例えば「しても良い」と「しなくてはならない」では大きな違いになる。

以前、一通り翻訳したのだが、用語を正確に翻訳するのか、日本語として不自然でない表現にするのか

少し迷ったところがあったので、もう一回は見直さなくては、と思っていたところだった。

日本語としてできるだけ正確に翻訳しても、日本語文だけでは肝心なときに不安を感じるかもしれない

と考え、日本語翻訳文の最後にそれぞれ(shall)、(should not)等の注釈を入れることにした。

何カ所か、日本語文として不自然なところがあり、考えるのに少し時間がかかってしまい、

まだ完成はしなかったが、もう少しで完了しそうな感じになった。

 

早めに昼食を摂ってから、ジムで軽く汗を流した。

いったん帰宅して、直ぐに車で出かけた。

次は高齢者施設での傾聴ボランティアで、幸い近くの公園の駐車場がいつも空いているのでそちらに駐車した。

何人か傾聴ボランティアの方々が来ていて、一緒に施設の談話室へ。

一人の方がハーモニカを吹いてくれたので、施設に入居している高齢者の方々、ボランティアを含め

皆で昔の童謡、歌謡曲等を合唱した。

かなりの高齢者の方々が、足などが不自由で、しかも痴呆症等もでているようなのだが、

昔の曲が出てくると、皆、楽しそうに合唱している。

ここへくると歌のすばらしさをいつも痛感する。

 

2階の談話室でしばらく歌った後、3階の談話室に移動。

こちらでも皆で歌った。

歌っている最中に、お年寄りの男性が近くに座ったので話をすると、

なにやら、この施設に居たくない、出たい、家族も来ない、

訴えてももう少し待ってと言われるだけで何も変わらない、等と不満を言っていた。

行き倒れになってもいいので、ここから出たい等と言っていた。

 

傾聴ボランティアの立場としては、特に同意も不同意もせず、ふんふんと傾聴しているだけだった。

この施設にくると、いつも、中の看護師の親切そうな笑顔と、施設内のきれいでエアコンの効いた様子を見て

良い施設だと感じている。

しかし、お年寄りの中には、死ぬまでここでこのままでいるのか、等と

不満を感じてしまうことがあるのかもしれない。

何が幸せなのか、難しいところだ。

希望通り外に出ても、行ける場所は家族のところか、別の高齢者施設だけ。

最近、家族が会いに来てくれない、等とも言っていたが、

家族のところに返っても、家では介護の設備が整っていないし、

家族が介護で疲れ果ててしまうにちがいない。

 

これから更に、介護の必要な高齢者が増えていくと思われる。

今は設備の整った高齢者施設や介護師の不足が言われているが、

仮に施設や介護士が揃っても、このご老人と同じで、

満ち足りない思いをするお年寄りが残されるに違いない。

どのようにすれば良いのだろうか?

やはり人と人のつながりを考えなくてはいけないのではないだろうか。