2017年11月15日(水)リタイヤ生活398日目

田舎の今日の天気は、昨日とは打って変わって晴天。
朝のうちは少し雲が多かったが、徐々に雲が減って、
川の向こうに見える山並みが、紅葉混じりで綺麗だった。

 

朝、母の大きな息継ぎの音と、
介護して頂く方の声でめがさめた。
ここは、特別養護施設の母の病室。
母の容態がすぐれないため、私は付き添の為、隣の補助ベッドで一晩明かした。
夜中は介護の方が何回も来ていただき、
介護するときには必ず母に優しい言葉をかけてくれる。
その都度、私は目が覚めるのだが、母に対する優しさがとても嬉しくて心地よかった。

 

母は、昨日から既に意識がなく、息だけを大きくついでいるだけのようだ。
その息継ぎが結構大きいので、心配で、昨夜はしばらく母を見守っていたが、
安定しているようだったので、何とか眠りについたのだった。

 

朝になっても同じように息継ぎをしている。
6時になったので、容態が安定している事を確認してホテルに戻った。

ホテルでは、風呂を浴びて体をほぐし、妻と朝食を取ったあと、荷物をまとめた。
こちらに来るとき、とりあえず3泊分の予約をしていたが、
チェックアウトの日が今日になった。
そのため昨日、さらに延泊をしようとしたら、すでに満室とのこと。
他の幾つかのホテルも問い合わせると、皆、満室で、
小さいホテルでやっと1部屋確保できたのだった。
午前中にチェックアウトして、午後にそちらにチェックインしなくてはならない。
トランクを車に積んで、家内とまた、介護施設に戻った。

 

母の部屋に戻ると、既に義姉が来ており、母を見守っていてくれた。
母は夜中よりも息継ぎが少しちいさくなったが、容態は安定しているようだった。
でも、元々認知症を発症しているのに加え、
最近は食事も水も喉を通らないため、
今は痩せこけて、声をかけてもわかっているかどうか、分からない状態だ。

母のベッドをはさんっで、義姉と私たち夫婦で話していると、
母はそれが聞こえているかどうかわからないが、瞳は左右に動いていた。

 

時折、看護士が心配して来てくれる。
母の手や足は、チアノーゼのため、少し紫になっており、
血圧はすでに図れず、脈拍も弱くなってきた、とのこと。
呼吸は1分に28回ぐらい。
介護士の話では、これが一時的に30回くらいになって、肩で息をするようになって、
その後、徐々に回数が減ってくると、終わりを迎える事になるとのことだった。
このような説明をしながら、看護師の方は母を見て、すこし眼には涙が滲んでいる。
涙ぐみながらも、終わりを迎えたときの為に、着せる着物の場所などを確認していた。

 

母は、この施設に入って昨日で丁度、3年目だった。
ここでは、どの介護士も、家族のようにして介護してくれている。
今日は、介護士の方が何人も来てくれて、母に優しい言葉をかけてくれる。
皆、母の世話をしてくれた人達で、今日は母の介護のためというより、
母に最後の別れをしたいため、それそれの持ち場を離れて来てくれているらしい。
この施設は大きく、10数部屋の個室が1つのユニットで、8ユニットに分かれている。
それぞれの間で時折異動があるため、最初の頃に母の世話をしてくれた介護士の人が、
今は別のユニットに移っている事も多いらしい。
それらの人達が、母の容態を聞きつけて、
忙しい職場から自主的に会いに来てくれている。
それぞれ、自分の気持ちの整理をつけるために来てくれたようだ。
皆、既に意識のない母に優しく声をかけてくれる。

 

このような老人介護施設では、介護士は、
親身になって介護した人のお別れの時に立ち会うことが多いと思う。
気持ちを込めて介護していればいるほど、別れは辛い。
このような現場で、一人一人親身になってくれる介護士さんたちは、
どのように気持ちの整理をつけているのだろうか。
それが、入っている高齢者に対する、生きている間の優しさとして現れているようだ。
母を知るどの介護士さんも、元気な頃の母は、いつもニコニコしていて
母の笑顔に癒された、といった話をしてくれた。
そんな介護士さんも、母と一緒に写っている写真を見ると優しい笑顔をしている。
そんな介護士のいる施設にいられた母は幸せ者だったと思う。


昼過ぎにかかりつけの先生が来て診断してくれて、
チアノーゼは出ているが、脈拍はしっかりしている、とのことだった。
それを聞いて少し安心して、家内とともに、
昼食と次のホテルへのチェックインのため外出した。

 

施設に戻ると、母に部屋には、義姉とは入れ替わりで兄が来ていたが、
しばらく話をしてから、会社の方に戻っていった。

そのあと、母の呼吸が少し早くなり、1分間に30回くらいになってきた。
だんだん肩で息をするような感じがみられてきた。

 

慌てて兄に電話をして直ぐに戻ってもらうことにした。3時40分位だった。
4時過ぎに来てくれた時にも呼吸数は同じくらいだった。

明日は100歳で亡くなった父の命日だ。
今夜半まで持ってくれればとの話もでた。

 

同じ介護施設に奥様が入っている親戚の人がお見舞いに来てくれた。
その人と兄がしばらく話をしている間に、母の息が少し遅くなってきた。
顎を開けて息をしていたのが、頭全体を動かして息をしている感じになった。
介護士の人が、このように息をしていると、苦しそうに見えるけど、
脳内ホルモンがでており、本人は苦痛を感じていない、と言っていた。
それが救いだった。

 

今夜は、義姉が母に付き添うとのことだったが、このような状況なので
私も付き添うことにして、急いで泊まるための荷物を取りにホテルに行った。
病後、体力の回復していない妻はホテルで待機してもらうことにして、
着替えて荷物を手早くまとめ、施設にもどると母の息は更に弱くなっているようだった。

また介護士がやってきて様子を見てくれた。
もう終わりが近いとのことで、涙ぐみながらも母の髪をなでて、
よく頑張ったねえ、もういいよ、よく頑張った、などと話しかけていた。
息継ぎの間隔が長くなり、今にも止まりそうな、それでもがんばって息を続けていた。

 

最後は、兄、義姉、私が見守る中で、安らかに息をひきとった。
本当にその言葉通り、やすらかに息をひきとった。
人は、いつかは必ず死を迎える。
その点で、母はみんなに看取られて、安らかに死を迎えることが出来て
幸せだったのではないかと思う。

 

その後は、介護士の方が母を着物に着せ替えて、化粧をしていただき、
葬儀社の人がドライアイスなどを持ってきた。
兄がお寺などにも電話して、お通夜や葬儀の日程も大体決まった。

 

夜になって、私は今、介護施設の宿泊室に泊めて頂いている。
母は、窓を開けて寒い空気を入れた病室に安置されている。
そんな母を誰かが一緒にいた方が良いとのことで、私が施設に泊まることになった。
私が日曜日にこちらに来てから、母は3日間がんばってくれた。
その間、母と同じ部屋で寝泊まりもでき、最後のお別れをすることもできた。
宿泊室で、私は今、安らかな気持ちで母のことを偲んでいる。