2017年11月20日(月)リタイヤ生活401日目

今日は、朝から冷え込んで、本当に寒い1日だった。

 

昨日から、再び帰省しており、昨夜はお通夜会場にひとりで一泊した。
夜中に何回か目が覚めて、その都度、母の前のろうそくが消えていないか確認した。

 

葬儀社の人が午前6時にはこの斎場に来るということだったので、

午前4時半には起きて、昨日用意されたサンドイッチを食べて、身支度を整えた。

 

午前6時半頃に、少し体を動かしたくなって、近所を少し散歩することにした。

田舎なので、斎場の周りは果樹園等で、若干車は通ったが、人はほとんど見かけなかった。

7時頃に斎場に戻ると、丁度、喪主の兄夫婦や、旅館に泊まった妻、息子がマイクロバスで到着したところだった。

これからが忙しい。

 

会場には既に霊影や花などがきれいに飾り付けられていた。花だけでも70近く並べられていた。

広い控え室で待っていると、そろそろ親族や関係者、兄の会社関係の方々が来られはじめた。

私は、大学以降は東京暮らしなので、親族以外の人はほとんど分からない。

控え室でのお茶だし等は家内や義姉に任せて、親族の人たちと話をしていた。

 

やがて納棺の儀式のため、皆が集められた。

昨日のお通夜の会場に親族が集まって、葬儀社の方の言われるとおりに、

母の遺体に旅装束を着せて最後に納棺した。

この間、白い水引を各自1本づつもって、左の方から斜めに回して縛った。

最後に、棺の母に花を手向けたあとで、その水引を切って、棺の中に入れた。

この水引の意味は何だったのだろう。

 

棺を乗せた霊柩車を先頭に、我々、親族一同はマイクロバスに乗って兄の家の前に戻った。

ここで、近所の方に最後のお見送りをして頂く。

冷え込んでいる早朝にも関わらず、家の前には20人以上の方が集まって頂き、兄から挨拶をした。

田舎では、このような近所つきあいを大切にする。

今日の告別式や葬儀も、近所の方が何人か来て、手伝いをして下さる。

 

近所への挨拶を終わり、車は火葬場に向かった。

火葬場は、山の麓にあり、いっそう寒かった。

そこで皆で母に最後のお別れをした後、母の遺体が火葬に賦された。

火葬は通常、1時間半かかるということで、皆で控え室で休んでいた。

母は、亡くなる前、飲食ができなくなって、やせ衰えていたので、

1時間ほどで呼ばれ、遺骨を骨壺に移す儀式を行った。

喪主から初めて、親族が皆終わると、後は担当者がどこの骨かを説明しながら骨壺に納めていった。

 

すべてが終わると、喪主の兄が位牌、義姉が慰影、私が骨壺を持ってマイクロバスで斎場に向かった。

朝、準備万端だった斎場に、これらを持ち込み準備が整った。

とりあえず、親族や関係者で早々に昼食の弁当を食べ、式の準備に移った。

 

午後1時から告別式、2時から葬儀だった。

告別式では、喪主である兄夫婦と私の夫婦、そして兄の長男夫婦が並んで、

焼香に来て頂いた方を迎えた。

ほとんどの方は、田舎での兄の会社の取引先の方々で、私が顔と名前が一致する人はあまりいなかった。

とはいっても小中学校の同級生が2人いた。

 

葬儀では、うちで檀家をしている和尚さん、この人も私の同級生だが、と

そこに加わる4人の僧侶の方が来て頂き、お経を読んでいただいた。

意外に短い感じで、短時間で終了した。

そのお経を読んでいる間に、参列者は全員、焼香を済ませなくてはならないとのことで、

これも少し慌ただしかった。

これで葬儀も終了。

その後は、別室で精進落としの会食が行われた。

 

遠くにいる親族や知人もこのような時でないと会う機会は少ない。

母親のおかげで、そのような人たちにも挨拶をすることができた。

午後5時前に会食も終了。

料理は結構余ったが、参列の方が折り詰めに詰めて持ち帰って頂いた。

 

この後、マイクロバスで兄の家に戻って一休みしながら、位牌などを葬儀社の方が

持ってきてくれるのを待っていたが、なかなか来なかったので、近くの旅館に戻ることにした。

 

家内、長男と旅館に戻り、やっとくつろぐことができた。

今日来て頂いた方は、皆、母のことを惜しんでくれていたが、

94歳での苦しまない老衰だったので、私としては安らかな気分で皆と接することができた。