今日は、朝から冷え込んで、本当に寒い1日だった。
昨日から、再び帰省しており、昨夜はお通夜会場にひとりで一泊した。
夜中に何回か目が覚めて、その都度、母の前のろうそくが消えていないか確認した。
葬儀社の人が午前6時にはこの斎場に来るということだったので、
午前4時半には起きて、昨日用意されたサンドイッチを食べて、身支度を整えた。
午前6時半頃に、少し体を動かしたくなって、近所を少し散歩することにした。
田舎なので、斎場の周りは果樹園等で、若干車は通ったが、人はほとんど見かけなかった。
7時頃に斎場に戻ると、丁度、喪主の兄夫婦や、旅館に泊まった妻、息子がマイクロバスで到着したところだった。
これからが忙しい。
会場には既に霊影や花などがきれいに飾り付けられていた。花だけでも70近く並べられていた。
広い控え室で待っていると、そろそろ親族や関係者、兄の会社関係の方々が来られはじめた。
私は、大学以降は東京暮らしなので、親族以外の人はほとんど分からない。
控え室でのお茶だし等は家内や義姉に任せて、親族の人たちと話をしていた。
やがて納棺の儀式のため、皆が集められた。
昨日のお通夜の会場に親族が集まって、葬儀社の方の言われるとおりに、
母の遺体に旅装束を着せて最後に納棺した。
この間、白い水引を各自1本づつもって、左の方から斜めに回して縛った。
最後に、棺の母に花を手向けたあとで、その水引を切って、棺の中に入れた。
この水引の意味は何だったのだろう。
棺を乗せた霊柩車を先頭に、我々、親族一同はマイクロバスに乗って兄の家の前に戻った。
ここで、近所の方に最後のお見送りをして頂く。
冷え込んでいる早朝にも関わらず、家の前には20人以上の方が集まって頂き、兄から挨拶をした。
田舎では、このような近所つきあいを大切にする。
今日の告別式や葬儀も、近所の方が何人か来て、手伝いをして下さる。
近所への挨拶を終わり、車は火葬場に向かった。
火葬場は、山の麓にあり、いっそう寒かった。
そこで皆で母に最後のお別れをした後、母の遺体が火葬に賦された。
火葬は通常、1時間半かかるということで、皆で控え室で休んでいた。
母は、亡くなる前、飲食ができなくなって、やせ衰えていたので、
1時間ほどで呼ばれ、遺骨を骨壺に移す儀式を行った。
喪主から初めて、親族が皆終わると、後は担当者がどこの骨かを説明しながら骨壺に納めていった。
すべてが終わると、喪主の兄が位牌、義姉が慰影、私が骨壺を持ってマイクロバスで斎場に向かった。
朝、準備万端だった斎場に、これらを持ち込み準備が整った。
とりあえず、親族や関係者で早々に昼食の弁当を食べ、式の準備に移った。
午後1時から告別式、2時から葬儀だった。
告別式では、喪主である兄夫婦と私の夫婦、そして兄の長男夫婦が並んで、
焼香に来て頂いた方を迎えた。
ほとんどの方は、田舎での兄の会社の取引先の方々で、私が顔と名前が一致する人はあまりいなかった。
とはいっても小中学校の同級生が2人いた。
葬儀では、うちで檀家をしている和尚さん、この人も私の同級生だが、と
そこに加わる4人の僧侶の方が来て頂き、お経を読んでいただいた。
意外に短い感じで、短時間で終了した。
そのお経を読んでいる間に、参列者は全員、焼香を済ませなくてはならないとのことで、
これも少し慌ただしかった。
これで葬儀も終了。
その後は、別室で精進落としの会食が行われた。
遠くにいる親族や知人もこのような時でないと会う機会は少ない。
母親のおかげで、そのような人たちにも挨拶をすることができた。
午後5時前に会食も終了。
料理は結構余ったが、参列の方が折り詰めに詰めて持ち帰って頂いた。
この後、マイクロバスで兄の家に戻って一休みしながら、位牌などを葬儀社の方が
持ってきてくれるのを待っていたが、なかなか来なかったので、近くの旅館に戻ることにした。
家内、長男と旅館に戻り、やっとくつろぐことができた。
今日来て頂いた方は、皆、母のことを惜しんでくれていたが、
94歳での苦しまない老衰だったので、私としては安らかな気分で皆と接することができた。