2019年12月12日(木)リタイヤ生活904日目

今日も朝から余りよい天気ではなかった。

 

午前中は少し調べ物をした後で、ジムに行って軽く汗を流した。

帰宅した後は、後から出かける中学校でのプログラミング課題の回答例を少し修正していた。

 

夕方になって、中学校へ出かけた。

いつも思うのだが、中学生の1,2年生はまだ子供子供していて、

大声を出したり、友達と騒いだり、場合によっては机の下に入ってしまったり、

よく言えば天真爛漫だ。

 

これに対して、担当教員と役割分担を決めており、私は技術指導はするが、

生活指導などは担当教員の役割になっている。

いつも感じるのが、このような環境の中で、教員は大変だということだ。

下手な指導をすると、PTA等から批判されかねないし、

とは言っても乱れているのを放置することもできない。

 

とりあえず私は技術指導に徹していた。

生徒には3つの課題を出しているのだが、その中で最も難しい課題に関して

一人の生徒が「解けました」と言ってきた。

その課題は、衝突を避ける戦略を考えるものなのだが、単に対象物を小さくして

衝突を避けている。

「これは違う」と言っても、「ルールには反せずにやっているので、これで言い筈です」

と言い張っていたが、課題を記した資料を出して読んでいるうちに「あー」と言って片づけてしまった。

どこかのルールに反していたようだ。

その後は、あまりやる気もなさそうにしていた。

 

別の生徒が、別の課題をうまく解けなくて困っていたので、

いくつかヒントを与えて、結局、解答になってしまった。

その生徒は、ヒントがきちんと理解できたかどうか分からないが、

とりあえず解けた、ということで、それ以上考えることをやめてしまったようだ。

 

プログラミングの課題を与えて、なかなか良い課題だと、自分だけ悦に入っていたが、

プログラミングテクニックを考えることが面白いだろう、と思っていたのは、間違いだったようだ。

知識欲に訴えるのではなく、中学生に限らず、その問題や解答そのものが面白い

と思えるようなものでないと、興味が続かないようだ。

 

エデュケーションとエンターテイメントを混ぜて、エデュテイメントという言葉があるが、

そのような課題を考えないと、生徒の興味は引きつけられない。

単に解答を作るのではなく、自分で少し工夫して他の人に面白いと思ってもらえるような

解答を考えられるような課題が必要だと痛感した。

 

単に新しいプログラミング課題を考えるだけでもなかなかアイデアがわかないのに、

さらに面白く改造できるような課題を考えなくてはならない。