今日も快晴、少し雲がかかっていたが、
向こうに見える山脈がモザイク模様で、
紅葉が綺麗だった。
昨日は母をみとり、施設の宿泊室に1晩泊めて頂いた。
もう看護も不要になり、何か気が抜けた感じで1晩過ごした。
まだ薄暗い6時過ぎに、母の部屋に行って、
化粧をして頂いている母の顔を確認してから、ホテルに戻った。
家内は、ホテルのツインの部屋に独りで泊まっており、
寒い外からホテルの部屋に入ると、ずいぶん暖かかった。
でも家内によると、このホテルは夜中は寒くて眠れなかったとのこと。
私も夜中に目が覚めて、その後眠れなかったため、夫婦で寝不足状態だった。
金曜日にお通夜、土曜日に葬儀と聞いていたので、
今日1日は、その手配で忙しい兄の手伝いをして、等と考えていると、私の携帯電話が鳴った。
この電話は兄からで、斎場が空いていないため、お通夜が日曜日、葬儀が月曜日になる、とのことだった。
すると丸2日ほど開いてしまう。
そこで2日間で予約したホテルのもう1泊はキャンセルし、今日は家に帰ることにした。
家内は、夜寒かったこともあり、同じホテルに今夜泊まらなくてすむことに関しては
少しうれしそうだった。
キャンセルに対するホテルの対応は好感のもてるものだった。
あたふたと荷造りをして、母の待つ施設に向かった。
午前10時に近くの部屋の人や面倒をみてくださった介護士の方達が正面玄関に集まって
母を送り出して頂けるとのこと。
葬儀社の方が母をストレッチャに乗せて正面玄関のホールのところに運ぶと、
施設内の多くの方がお見送りに来てくれており、
母の介護をしてくれた若い女性が代表して別れの言葉を読み上げてくれた。
最後に皆で、ふるさとの歌を歌ってくれた。
皆が別れを惜しむ中、母は霊柩車に乗せられ兄の自宅へ。
自宅では、奥の間の仏壇の前に安置された。
この仏壇には、今日が命日の父が祭られている。
この後は、葬儀の準備などで慌ただしく過ごし、午後3時過ぎに東京に向かった。
家内は、病気の後体力が落ちているせいか、
あるいはこの数日間、いろいろと気を遣ったせいか、ずいぶん疲れたようだった。
私も少し疲れていることは自覚していたが、何とか午後6時半過ぎには無事に自宅に到着。
あまりおなかが減っておらず、途中で買ったパンなどで軽く夕食をとった。
家に帰りついて見ると白昼夢のような慌ただしい5日間だったが、
施設で大変親切にしていただき、安らかに眠りについた母のことに関しては、
何も未練を感じることはなかった。