ついに11月最終日、明日からは12月 師走だ。
12月になると、大掃除、年賀状、おせちの注文等々、やらなくてはならないことがいろいろある。
しかも、リタイヤ生活以降、比較的暇だったのが、12月にいくつかのイベント、セミナーなどにも
参加申し込みしており、結構忙しいそうだ。
まあ、少し忙しい方がハリがあって風邪をひきにくいかな、等と楽観的に考えている。
今日は、Netflixで東日本大震災後の原発事故の問題を取り上げた「無知の知」という ドキュメンタリー映画を見た。
そこ中で、ある年輩の女性が、それまで農家をやってきたのが、
事故後の避難生活で「何もやることがなくなったのが本当につらい」と言っているのが印象的だった。
立場は違うが、私の場合には、たぶんこの女性よりも若いと思う。
その私が、誰に強制されたわけでもなく、さっさと引退して毎日のんびりしている、
こんなことで本当に良いのだろうか?
実は、 60歳になって、あるいは60歳より前の役職定年で退職した複数の友人が
早く辞めた方がいいよ、と誘ってくれたこともあって、私は退職を決めた。
会社側からも、はっきりと口には出さなかったものの、60歳以上の社員は早くいなくなって欲しい
との無言の圧力が痛いように見に刺さっていたことも、退職を後押しした。
今の雇用制度には高齢者がモチベーションを持ち続けて働くには大きな問題があると思う。
若い人に負けずにバリバリと働く自信はあっても、若い人に道を譲るようにとポストは剥奪され
給料は大幅に下げられ、窓際に追いやられる。
若い人を譲る、若い人にポストを回すために仕方がない部分もあるし、
実際に、 給料やポストに見合った働きをしていない中高年もいるかもしれない。
しかしそうではない高齢者もいることを忘れないで欲しい。
今までは年功序列で高齢者は比較的優遇されてきたように思う。
そのツケが定年後の継続雇用に際にやってきたと納得している人もいるかもしれない。
しかし今後は、年齢とは関係なく、ガチに実力主義でポストや待遇を決める時代になって欲しいと思う。
本当に実力があれば、65歳だろうが70歳だろうが、働きに見合ったポスト、
処遇を与えられるということができないだろうか。